スカの時代からジャマイカ音楽の重要人物GladdyことGladstone Andersonの新譜"Gladdy's Double Score"発売記念でタワレコ渋谷でアルバムプロデューサーでもあるECさんとレゲエキーボーディストHakaseのTalk Showってことでお出かけ。
日本にレゲエの種を蒔いたECさんと、その種で育ったHakaseの二人のレゲエ愛、Gladdyへのリスペクトが溢れ雨の中ホントに行ってよかった。
当時はパブロですら400枚くらいしか売れなかったというECさんの恨み節やwGladdyの人柄が伺えるエピソードの数々、カッコつけたとこが全然ないのがカッコいい。日本にECさんがいてくれたことを改めて感謝する次第。
Gladdyは84年に、先日亡くなったシュガーのバックメンバーとして来たのが初来日。ECさんとの出会いもこの時らしい。
その頃はGladdyの重要さなんて全然知らずにいた。
その後、OVERHEATからボーカルアルバム"Don't Look Back"、そしてMoodiscの傑作"It's May Sound Silly"のタイトルを変えた"カリビアン・サンセット"がリリースされ、そう言えばと84年のSKATALITES再結成盤"Return of the Big Gun"で繋がるという認識の仕方だった。
余談だがECさんに"It's May Sound Silly"を教えたのがグラス・メンズの林さんとのこと。
そして87年2月14日バレンタインデーの日、青山スパイラルホールでMUTE BEATとのジョイントライブ。
その貴重なライブの映像がトークショウの場で初公開!
あの会場に僕はいた。当時25歳。上京して3年。MUTE BEATが日常のサウンドトラックだった。一気に気持ちまで23年前にタイムトラベル。胸が熱くなった。
見ていて思ったけど、多分この時が日本でRockSteadyが演奏された初めてのライブなのだ。それまでレゲエのライブは沢山あったけど。ミュートの演奏もGladdyがステージにあがってからタイトさが全然違う。
ホーン隊がメインのインストバンドで、ギターとサックスがいないという特殊な編成。そのあるべきものがない欠如感に、よりリアルさを感じていたんだと思う。
今でもMUTE BEATの音は聴くことできるけど、当時の映像に触れることはほとんど出来ない。けどこのライブ映像を見れば、MUTE BEATがいかに特別な輝きを持っていたバンドだったかと分かってもらえると思う。見なかったことを100年後悔するぐらいしてほしい映像だった。
いやでもホント、23年前のMUTE BEATは25年後に聴いても全然色あせてなく最先端にいられるであろう輝きやカッコよさがあるんだ!今思うと奇跡としか思えないくらい。